悩みがあるのだけれども    ここだけの話

私の姉の友人は悩みがあったりモヤモヤすることがあるとフェイスブック等で自分の考えや心情を長文で書き殴って公開するらしい。スッキリするのだそうだ。今回はそれに倣ってみようと思う。私にだって、悩みがあるのだ。

悩みといっても、ほんのささいな事の積み重ねである。毎日めざましい進化も発展も無く生きていくのはつらいなあとか、夏休みに入ったからなにか新しい習慣を身に着けたいけれど続かないなあとか、そんな程度だ。

なにより辛いのは、不安が常にまとわりつく事だ。些細な失敗ですぐに将来がダメになることを連想してしまう。ああ、イライラする。

いつも明るい友人が頭に十円ハゲをこしらえた。私も気が付いたら腕を強くひっかいてミミズ腫れをこさえるクセが出来た。我々は高校三年生だ。頭の上に将来がのしかかり、度重なる「強いられた挑戦」にストレスでボロボロにやられてしまうのだ。

私の通う高校の図書委員会はブラックである。去年の末から図書委員長に任命された私は未だ唖然とするばかりだ。ただでさえ模試やら定期テストやらの勉強で忙しいというのになんの予告もなく放課後呼び出されては仕事を任され、毎日昼休みに昼食を五分でむりやり胃に流し込んで図書室に行っては仕事をこなす。なんだこれは、なぜ図書委員長の私が毎日やらねばいかんのだ。こういうのはあれだろ、委員全員の当番制で行われるべきものだろう。なぜこんな一部に負担が集まる事態になっているかといえば、どうせ教員側が仕事をレクチャーする手間を何十分の一に抑え込んで楽しようと企んだ結果であろう。許されない事実だ。フランス人を見習ってボイコットしてやろうか。

今年も宿題が多い。提出期日も明記されていない状態だ。いい加減にして欲しいぜ。

そういえば中学生の時の今ごろもこんな事を思って歯ぎしりしながら宿題に取り組んでいたような記憶がある。中学三年生の受験期になぜ絵を描く宿題が出されるのだ!おかしいだろ!これにどれだけ時間を労する必要があると思っている!!

まことに遺憾である。私が所属する演劇部の部長があろうことか「今日暑くてだるいから活動なしで」だとほざきやがったのだ。前々からあやつのいい加減さには同じ演劇部員として胃を痛くしてきたのだがこれはさすがに酷い。

これでは一・二年が可哀想だ。こんな適当な先輩の跡を継がなくてはいけないなど、酷い話ではないか。

他の同学年の部員二人も唖然としていたので、三人でコツコツ話し合った。そして直球でしか言いようがない主張であると判断し、三人で分担して一・二年もいる中で話をした。「勝手に活動を減らそうとするのを即刻やめるべし」・「一・二年も見るグループLINEでの自由すぎる発言も即刻やめるべし」・「なにかしら文句があるのならとっとと言うべし」との主張をまとめて伝えたところ、あろうことかへそを曲げたのである!とても同い年の高校三年生とは思えぬ振る舞い!!

まことにまことに遺憾である。一番遺憾なのは、彼女が最終的に述べた今までの暴挙の理由が「演劇のことをちゃんと考えていなかった」であったことだ。なんと意識の低い部長様なのだろう。そんな調子で肩を並べてこれからの舞台に立ち向かっていくのはいささか気分の削がれる事実だ。

最近母の調子が悪い。精神バランスがおかしい。私は母の日も父の日もろくに記憶しないし思い出しても行動に移す労力を惜しむような親不孝者であるが、それには決定的な理由がある。主に母が、「普段の娘に対する労力を嫌がっているていで感謝を求めてくる」点である。非常に厚かましく恩着せがましい人物なのだ。我が母はとにかく自分の領域を確保したがる。縄張り意識の高い野良猫のような気迫で「今が私がいつもテレビを観ている時間だから邪魔しないで」だとか「この時間だけが私の自由時間だ。お前はあっちにいっていろ」などと喚き散らすのだ。こんな母に純粋な感謝を授けることなどなぜできよう。そんな嫌なのであればどこへでも好きな所へ行ってしまえば良い。私は引き留めなどしない。そんな風呂に入るのを嫌がる猫のような頑張りを見せられるくらいであれば何も邪魔はしない。母は当然大人なのだし、私も姉ももう大人に近い。嫌々負う責任などもう無い。

この前学校帰りに、他のクラスの女子と二人で帰ろうと誘われた。普段用がなくとも顔を合わせれば雑談を交わす程度の仲の子である。私たちにといっての学校帰りの道といえば、学校から駅までの徒歩約20分程度の道のりをさす。その間、私は一つ発見をした。

 

   「女の子の恋愛話って・・・特に面白くないな・・」

 

ということだ。酷い話だってわかってるよ。ごめんね一緒に帰った女子さん。

でも言わせてほしい。面白くないのだ!「好きな男の子のタイプってなに~?」とか「前に付き合ってた彼が煙草吸うんだけど、ウチやめてほしくて~、でもお願いされると可愛いから許しちゃうの❤」とか言われて楽しいか!?どういう基準なんだ!?女子の会話と言うのは!?

こんなことを姉や友人に話すと「お前も女子の一員だろうが」と言われてしまうのだけれど。。。

しかし人というのは一回長い事話してみないとタイプがわからないものである。一緒に帰った約20分間、私は彼女の乙女チックオーラに当てられてずっとよろけて斜めったまま歩いていた。「少女漫画ヒロインものまね選手権」でもやってるのかと思うほどだ。

 

そもそも私は人の話を聞くのに向いていないのかもしれない。話を聞く場面において相手にとって私はただの「聞き役」である。ただ首を縦に振っておくのが一番良いのだろう。しかしそれを理解していても相手の心のはけ口の先にいるのが重くてたまらないのである。ついつい、重く受け止めすぎて一人で眠れなくなったり等の自滅を繰り返してしまう。

私の一生の課題は「物事を重くとらえ、深く考えるのをやめる」ことのように思う。私の自室は重力が1・2倍くらいある。日々寝る前や暇な時間に重苦しい議題をかかえ、一人悶々と考えを巡らせている部屋だ。軽い気分ではいられない。

 

そろそろ長文が出来上がった頃合いだ。今日はもう寝てしまおう。起きていてもいいことがない。

 

全部ここだけの話。

 

おやすみなさい